禮奇亭備忘録

戦後教育の歩みと授業づくりをめぐる手控え

教室は たとえて言えば 地雷原 1――スクールカースト

これは、ある中学生が詠んだとされる川柳です。スクールカーストの中で生きていく中学生の心情を詠んだ歌だとされています。

スクールカーストって何?

スクールカーストとは、2000年代に広まった概念で、教室の中の階層(ヒエラルキー)を、ヒンドゥー教身分制度であるカーストに例えたものです。


アメリカなどは日本より顕著で、ハリウッドの青春映画等には、アメフト部のキャプテンやチアリーダーの女の子を頂点とした階層社会が描かれています。

日本でも、表向きは人気者だが内心では周囲を見下している高校生を主人公とした『野ブタ。をプロディュース』(白岩玄)や、ボッチの主人公がスクールカーストや人間関係の葛藤に巻き込まれていく『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』(渡航)など「スクールカースト物」というジャンルがライトノベルやマンガにありますからご存じの方も多いのではないかと思います。

 

かつて教室は、『ドラえもん』のジャイアン出来杉君のような、運動能力や学業成績といった単純な物差しで階層化されていました。

しかし現在は、運動能力や学業成績があっても「脳筋」とか「ガリ勉」と言われ、ジャイアン出来杉君は必ずしも上位階層になる条件を持っているとは言えません。

 

スクールカーストは、一軍・二軍・三軍と、コミュニケーション能力によって階層が分かれています。

自分の意見や感情を適切に表現し、グループ内で存在感を示す自己主張力、他者の気持ちを理解し寄り添う共感力、周囲の「ノリ」や空気を読みそれにあわせる同調力の高い子どもほど、スクールカーストの上位にくる傾向が多いようです。(水野 2015

こう書くと、ずいぶん「よい子」のように感じられますが、そうではありません。

カーストとは身分制度で、明らかな上下関係が存在します。

そしてこの序列は、単に「情報を発信する(質はともかく)量と、周囲にその情報がどれだけ受けいれられるか」が所属する階層を決める鍵となっているにすぎないのです。

つまり、善悪や倫理は関係のない、コミュニケーション能力という「力」こそがすべての世界です。

教師はスクールカーストの「外部」か「内部」か?

かつて教師は、学級の序列構造とは別次元の「超越的存在」として位置づけられていました。

まだそのような学級はありますが、だんだん減っているような気がしてなりません。(今にレッドデータに登録されるかも……。)

現在では、教師自身がスクールカーストの力学に巻き込まれることが増えていると言われています。(北海道大 水野君平


学校では、「リーダー性」等の名の下に、クラス編制を行うとき、カースト上位の者が均等になるよう、クラス編成をコントロールしています。

 

そして一部には、「子どもの自治」の名の下に、リーダーを育て、クラスをそのリーダーたちに任せようと考える教師もいるようです。

これは一見合理的ですが、序列構造を強化し、下位グループの子どもの声を抑圧する危険性も孕んでいます。

上位グループの子どもの意向に教師が引きずられ「空気を読む」ことで、下位グループの声が拾われにくくなります。

 

そのため学級の雰囲気が「担任の個性」ではなく「上位子どものキャラ」によって形成されるようになります。

これは、教師の影響力が相対的に低下し、学級経営の主導権が子ども側に移っていることを意味します。

すると、子どもたちは教師の言うことより上位グループの言うことを聞くようになってしまうのではないでしょうか。

 

「空気を読む」とは、教育的判断でしょうか。人気への迎合でしょうか。

そして教師が「空気の支配者」に加担するとき、教室は沈黙を強いる檻になります。

……場合によっては学級崩壊につながることもあるかも知れません。

 

北海道教育大学の水野君平准教授は、スクールカーストの地位が「学校生活の楽しさ」や「自己開示のしやすさ」に強く関係していると述べています。

教師がどの子にどのように関わるかによって、その子の心理的安全性や学びの質が左右されるのです。

下位グループの子どもに丁寧に関わることで、いじめや孤立を防ぐことができるのではないでしょうか。

上位グループの子どもに迎合しすぎれば、学級のモラルが崩れるかも知れません。

上位の子どもたちの意向を無視してクラスの決定事項や方向性を決めることが出来なかったり、下位グループの子どもの意見を軽く取り扱ったり……

上位の子どもとの関係を良好に保てないないと教師としての立場が保てない……そのような考えの教師はいないと……信じています。

 

私たちはヴィシュヌやシヴァ、ブラフマーとまでは言いませんが、せめて子どもの心の中にある「正義」の味方であったり、子ども一人一人の「自由」の守護者であるべきだと思います。

どんなに上位グループの者が優秀であったとしても、座席決めや班決め、クラスでやることなど、リーダーグループに詳細を委ねることはあっても、決定権だけは手放してはいけないと思います。

 

次回は「教室はたとえて言えば地雷原 2……居場所闘争の果てに」です。